溶けゆくエトランゼ

 その公園のベンチからは、木々の向こうの遠くに小さく、海がきらきらと白く光って見えた。雲一つない、薄い色の青がひろがる空の下、カミュ先輩は白いコートの長い裾を片手で丁寧に直しながら、俺の隣に並んで座る。昼前の太陽はゆっくりと鈍い明るさを放っていて、冬の終わりにしては今日は少しあたたかい日だった。
「アイス日和って感じだね~」
「うむ。冬に食すアイスはまた格別の趣があるな」
 三段重ねのアイスのカップを上から下まで眺めながら、カミュ先輩は満足そうにうなずいた。俺のバニラアイスのカップと比べるとひとつひとつのサイズは少し小さく見えるけれど、でもたぶん倍くらいの量はあるんじゃないだろうか。俺は自分の手元のバニラアイスを見つめ直して、やっぱり二段くらいにすればよかったかな、とちょっとだけ思った。まあいっか。
「よし、いっただきまーす!」
 言い終わらないうちにスプーンをカップに突っ込んだ。固めの手ごたえにアイスの冷たさを感じてわくわくする。最初の一口はやっぱり大きく思いっきり!
「おいしい! なんか、外国っぽい味がしてすげーおいしい!」
 口の中でとけていくバニラの濃い味に感動していると、急に海風が真正面から吹き付けてきて、スプーンを握る右手の甲に鳥肌が立った。カミュ先輩は涼しげな顔で、優雅にアイスを食べ始めている。いちばん上はキャラメルナッツだ。
「すごくおいしいけど、やっぱちょっとだけ寒いかも」
「何を言う。気の抜けたぬるい風ではないか」
 潮の香りの混じる、外国の匂いのする冷えた風が、ゆっくりと通り過ぎていく。
 残り数日で、この国での撮影も全て終わってしまう予定だ。そうしたらこの映画は無事にクランクアップを迎えて、俺たちはみんなで飛行機に乗って帰って、元通りそれぞれのいつもの仕事に戻ることになる。
 今日はもともと予備日として空けてあった日で、俺は夜から少しだけ撮影がある以外、ほとんどお休みだ。蘭丸先輩は近くの町中で一人でのシーンを撮っている最中で、夜は俺と一緒に撮影。そしてカミュ先輩は丸一日フリーだ。足を組んでベンチに腰掛けているカミュ先輩の姿は、カラフルなアイスの段まで含めてなんだかお洒落な外国映画のワンカットみたいだ。見るからに嬉しそうなその雰囲気は、泣く子も黙る海賊のものとは似ても似つかない。ぼんやり揺れる太陽の白い光の下で、カミュ先輩の髪の色はきれいな金色に見えた。
 風がやむと、散らされていたあたたかさがじわじわと体に戻ってくる。俺はバニラアイスを改めてゆっくり味わいなおして、そして改めて頬が勝手に緩むのを感じた。すごくおいしい。それに、すごく嬉しい。これまでカミュ先輩の持ってきた、もしくは買ってきた甘いものをわけてもらったりはしていたけれど、ふたりで一緒に買ったのは今日が初めてだ。海外ロケが決まった時はいろいろ不安もあったけれど、日本で時々一緒の仕事をしているだけじゃ、こんなふうに並んでアイスを食べることなんてきっとできなかったんじゃないかと思う。
「このアイス、このまま持って帰れたらいいのになー」
「土産にでもしたいのか」
「ううん。ただなんか、せっかくカミュ先輩と一緒だからさ。食べたらなくなっちゃうの、もったいないなーって。写真撮るのも忘れてたし」
 スプーンの先でつつくと、白いアイスの表面に爪痕みたいな線が入った。日差しはぽかぽかと穏やかで、それと俺の体温がじわじわと今日の時間ごとアイスを溶かしてゆくだろうことが、なんだかとてもさみしく思えた。
「今は感傷に浸るようなシチュエーションでもなかろう、馬鹿者。早く食べねば溶ける。それこそもったいないであろうが」
「……はーい」
 つついた爪痕を削り取るようにスプーンを突っ込んで、もうひとくち。丸っこい甘さと一緒に、バニラの香りが鼻に抜けていく。ベンチの前の広い歩道を、早足で歩いていく女の人もいれば、犬を連れた太ったおじさんや、仲のよさそうなカップル、楽しそうな親子連れ、地図を広げた観光客っぽい人たち、いろんな人が右に左に過ぎ去っていく。この街に暮らしている人たちや、俺の行ったことのない他の国から来た人たち。みんなが話している言葉のどれも、楽しそうかそうでないかくらいはわかっても、俺にはぜんぜん聞き取れなかった。簡単な挨拶くらいは覚えてきたけど、それ以上はまるでわからない。現地のスタッフさんたちももちろんいるけれど、役者の俺たちが直接関わる機会も実際にはそんなにないし。さっきアイスを買った時だって、俺は身振り手振りでバニラがいいと伝えただけで、細かい注文はカミュ先輩がしてくれたのだ。
「当たり前だけどさ、誰も俺たちのこと気にしないね」
「今ここではな」
 へへ、と声に出さずにちょっとだけ笑ってしまった。カミュ先輩は、いつもすぐに返事をくれる。何も言わずにつまらなそうな顔をしている時でも、どんなにいきなりでも、俺が話しかけた時にはいつでも。聞き返したりもせずに、ちゃんと答えてくれる。そういうことに気が付いたのも、この映画の撮影が始まってからのことだ。
 考えながらばくばく食べていたら、手元のバニラアイスはいつの間にか残り半分くらいになっていた。外側がだんだんと溶けだして、カップの底に小さな白い池を作り始めている。カミュ先輩はとふと見ると、二段目のチョコミントがちょうどなくなるところだった。俺よりもペースが速い。
「こんな長期の海外ロケって、俺、今回が初めてなんだ。なんか、すごく今更だけど、ここって遠いところなんだなって思ってさ。外国なんだなーって」
「……今ごろそれを言うか」
 チョコミントの最後の一口を食べ終えたカミュ先輩が、呆れたように軽く鼻で笑う。それから目の前の歩道を過ぎゆく人たち――俺よりはカミュ先輩に容姿の似た人たち――に目をやって、
「俺にとっては日本も外国なのだがな」
低い声でそう言うと、もう一度、なんだか呆れたように笑った。
 綺麗な日本語で返ってきたその言葉が、俺にはなんだか知らない国の言葉のように聞こえて、すぐには返事が思い付かなかった。バニラアイスにそっとスプーンを差し入れる。思ったよりも手応えはなかった。もうずいぶんやわらかくなっている。
「カミュ先輩の国って、ここからは近いの?」
 ヨーロッパの地図を頭の中に浮かべてみようとしたけれど、案の定それはびっくりするくらい曖昧で、正直今いる国の位置さえ俺にはちょっとよくわからない。カミュ先輩はいちばん下のラズベリーアイスへ向けようとしていた手を止めて、少しだけ眉根を寄せた。
「近くは……ないな。無論、日本からの距離と比べれば圧倒的に近いとは言えるが、およそ気軽に寄れるような距離ではない」
 そもそも我がシルクパレスへの渡航手段はかなり限られていて、思い立ってすぐに行けるような国ではないのだ、とカミュ先輩は付け足した。そうなんだ、と返事をして、俺はスプーンを自分の口に突っ込む。溶けだして温度が上がったせいなのか、バニラの甘さだけがさっきより強く口の中に残る。俺の手の中のカップの中で、白いアイスはだんだんと元のかたちをなくして沈んでいく。
「なんか、帰るのも帰らないのもさみしいや」
 言ってしまってから、間違えた、と思った。
 カミュ先輩は表面の溶けたラズベリーアイスをそっと口に入れながら、うなずいた。なんでもないような仕草で、でもたぶん、俺の言葉への返事だった。
「……あ。えっと、帰るって、日本に、だけど。日本にっていうか、事務所にだけど」
「他にどこに帰るのだ」
 鮮やかな赤色のアイスを上品な手つきで山盛りすくいあげ、カミュ先輩はいつも通りの落ち着いた声でそう言う。俺はなんだか急に何も言葉が浮かばなくなって、残ったバニラアイスをカップから一気にぐっと煽った。まだ溶けかけのバニラの島ごと、スプーンでかきあつめて口の中に全部流し込む。つめたい。口じゅうがすごく冷たくて、やっぱり外国の味がして、甘くて、それはどんな国の言葉でもきっと言いきれないくらいに、すごくすごくおいしかった。
「……撮影もまだ終わってはいないのだ。帰っても映画公開まではかなり期間があると聞いている。仕事はいくらでもあるだろう」
「うん。そうだよね、まだまだ頑張らないと! まずは今晩の撮影だー!」
 座ったままガッツポーズをしていたら、たまたま目の前を歩いていたおばさんが、俺を見てくすくすと笑った。俺も笑って手を振ってみたら、おばさんは笑いながら手を振り返してくれて、ブロンドの髪をなびかせながらそのまま楽しそうに通り過ぎて行った。
「貴様はどこにいても変わらんな」
 カミュ先輩が俺の隣で、また呆れたように軽く笑った。その手元のカップは俺のと同じく綺麗に空っぽになっている。俺はふと思いついて、カミュ先輩にそれをちょっと貸してもらうことにした。食べ終えた二人分のカップとスプーンを、俺とカミュ先輩のあいだ、ベンチの上にそっと並べる。
「この写真はどこにも出せぬだろうな……」
「うん。俺がとっときたいだけだから」
 スマホの画面に、空のカップとスプーンがふたつずつ、適当な構図でただ映っている。日本に帰ってみんなで見返す時にはたぶん、この写真もロケ先でたくさん撮った写真のひとつ、になると思う。でもそれでかまわない。俺とカミュ先輩にだけはきっと、バニラとキャラメルナッツとチョコミントとラズベリーの甘さが、この遠い国の冷たくてやさしくてあたたかい味が、ずっと溶けずに残ると思う。
2015年時点でもカミュはもう溶けきってると思うっていうかなんていうか
地中海沿岸某国の街角アイス事情がわからなかったのでイメージ図は31です(…)
2019.10.12.