血よりも濃い

「最後に……本当の騎士と戦えて……よかっ……た」
 かすれた声でそう言い残し、一十木は無様によろめいて冷たい床へと倒れこんだ。力なく投げ出された肢体、白く閉ざされた瞼。一拍の間をおいて俺はそのそばにしゃがみこみ、ぴくりとも動かなくなった一十木の腰から、剣を鞘ごとそっと抜き取った。なんの反応も返さないその体を無言で一瞥し、俺は傷の痛みをこらえながら真の敵へと向き直る。
「この剣は、ふさわしい者が持つべき物だ。お前には不釣り合いというもの……!」
 そして、
「はいオッケー! 本番もその感じ、忘れないように。じゃあ一旦休憩!」
手狭なレッスンスタジオに舞台監督の大声が響く。
 その途端、先ほど俺の手にかかったばかりの一十木は、床からむくりと起き上がった。
「お疲れさまでしたー」
 腑抜けた笑顔が俺を見上げる。俺はわずかに上がった息をゆっくりと吐いて、全身の緊張を解いた。
「やっぱ、最後のほうはマサがいないと難しいね」
 軽い苦笑とともに、一十木は跳ねるように立ち上がる。短い休憩時間にスタッフや演者らがせわしなく動き回る中、俺たちは私物の置かれたスタジオの壁際へと足早に移動する。周囲の動線から若干離れた雑多な休憩スペースは、ほんの少しだけ空気が涼しく感じられた。小道具の代わりにタオルを手に取り、俺は立ったまま壁に背を預けてペットボトルに口をつける。飲み慣れた砂糖の濃い甘さに、ようやく人心地がついた気分だ。
「はーっ! 生き返る~」
「貴様はまさに文字通りにな」
 一十木は「ホントだ」などと楽しげに笑う。一気に飲み干したらしいペットボトルを無造作に机に置くと、待ちかねたような勢いで俺の隣に座り込んできた。一瞬遅れて、熱気の混ざった風が無音で足元を抜けていく。
「ちゃんとかたちになってきて良かった~。さっきの俺の倒れ方、結構うまくできたと思うんだけど、どうだった?」
 アレキサンダーがボールを咥えて戻ってくる時も、こんな表情をしている。
「少々オーバーな気もするが、舞台上ではあれくらいでよかろう」
「やった! 謎の騎士の最後の見せ場だもんね!」
 謎のかけらもない笑顔。三角に立てた膝を揺らして、一十木は得意げに笑う。それから、どこか安堵したかのように息を吐く。膝の上に乗っていた骨ばった右手がふらりと浮いて、迷わずに左胸の上へ添えられた。無意識なのか、よもや痛みでもするのか。そこは先ほど俺が、因縁の敵を刺し違えてでも倒すために貫いた箇所だ。正確には、タイミングを合わせて模造剣を左わきに突き刺してやったに過ぎないのだが。
「……よもやこの俺に、このような役柄が与えられる日が来るとはな」
 呼吸に乗って、胸中の独り言が不意に音を持った。それは今回のキャスティングを聞いた時からずっと、俺の内でくすぶっていた言葉でもあった。
「そう? カミュ先輩、どんな役でも完璧にこなせるから、俺はぜんぜん意外じゃなかったよ。普段の執事だってそうだし、ほら、マイケルインジャパンのマイケルとか、」
「……俺が、悪役の貴様を正義側として殺すような役を与えられる日が来るとは、という意味だ」
 溜め息交じりに言い直してやると、一十木は右手をそっと胸から落とし、俺の顔をじっと見上げた。相変わらず、躊躇いもなく人の目を直視する奴だ。
「そうかな。やっぱり俺には、ぜんぜん意外じゃないよ。カミュ先輩のアトス役、すごく絵になるっていうか……自分に厳しいところとか、雰囲気もぴったりって感じ」
 一十木はいつものように屈託なく笑う。そして急に表情を変える。
「も、もしかして、俺に悪役が似合ってないって意味!?」
「……それもあるな」
「えー! そっかあ……もっと怖そうに見えるようにしないとだめかなあ」
 今度は口をへの字に結んでうなりだす。人の話を聞いているのかいないのか。俺は視線を斜め下の男からそらし、ペットボトルの茶をもう一口煽った。直線的に脱線していくような会話も、落ち着きなく表情が変わる様を間近で眺めるのも、ずいぶんと久しぶりのような気がする。同事務所のくくりでともに仕事をする機会はままあれど、そもそも俺と一十木ではグループも得意分野も売り方もまるで違うのだ。俺と一十木が二人で向き合ってこなさねばならない仕事など、そうそうあるものではない。
「貴様の演技はまあ悪くはない。俺が直々に殺陣の指導までしているのだから、本番には完璧な悪役として非道の限りを尽くしてもらわねば困るな」
 この仕事も、本来はおそらく例外などではないのだろう。これは事務所の十一人に等しく与えられた仕事なのだ。ただ今回は二人での殺陣のシーンが多く個別練習が必要になるという、そして俺が主演の一人で一十木は敵役であるという、それだけの話だ。
「はーい。がんばります」
 軽々と右手を挙げて、一十木は子供のように言う。まるで邪気を孕まないその顔をあえて歪ませることに本当に意味があるのか、時折いまだに疑問が浮かぶことすらある。
「カミュ先輩にかっこよく倒してもらえるの、俺は結構楽しみだよ」
「悪役にしては潔い死に様ではあるな」
 それもあるけど、と一十木はおもむろに床から立ち上がり、言葉を継いだ。
「カミュ先輩を――アトスを、俺がかっこよく見せられるってことでしょ。俺が強そうで悪そうなほど、それをやっつけるアトスがすごくかっこよく見える。それってすごく重要な役じゃない? あ、悪の親玉は俺じゃなくてマサのほうだけど」
 右隣で、一十木は少しだけ眉を下げて俺を見上げた。
「カミュ先輩も、こんな気持ちであの時俺に殴られてくれてたのかなって。ちょっと思ったんだ」
 あの時。……もう二年以上も前の話だ。
 前置きもなく唐突に持ち出されたその単語が、俺の内でも迷いなく同じ日を指すことを、一十木は疑いもしていない。おそらくは、俺自身も。何ならば、黒崎もだ。あの時は――そういえば、俺の右目は黒い眼帯で塞がれていて、撮影現場で右側に立たれると妙に話しづらかったものだ。潮風のべたつく香りとともに、一十木の声につられた些末な記憶がざらざらと蘇ってくる。
「何を最もよく見せるべきかは、作品や場面に応じて変わるものだ。俺は俺に求められた役割を完璧にこなしているに過ぎん。無論、あの時もそうだ」
 波音、夜の闇、不安定な足場。白い船と、赤いコートに海賊帽。
 例外だった仕事。例外ばかりだった仕事だ。
「第一、俺が殴られるシーンでは貴様の拳に直撃を食らわぬことのほうに神経を使わされていただろうが。あの黒崎ですら力の加減くらいはできるというのに」
 あの時、主演たる同事務所の後輩を敵役として立てるという意識が、もちろんなかったわけではない。それは黒崎もそうであったろう。だが、俺も奴も、あいにくと後輩のために自ら一歩引いてやるような謙虚さなど持ち合わせてはいない。作品を壊さない範囲で、食えるなら主役を食ってやる程度の気概は当然にあった。
 そしてそれでも、あの船の船長は誰よりもこの男だったのだ。
 一十木が、俺の右隣でゆっくりと微笑んだ。俺は右目をまたたいて、それを見る。一十木は先ほどまでより、そして二年前よりもどことなく大人びた表情をしていた。光の加減で赤みを帯びたその瞳が、
「これでおあいこになるかな」
二年前にともに見た遠い海を映すかのように揺れる。
「カミュ先輩にもね、俺のこと思いっきりやっつけてほしいんだ。カミュ先輩の気持ちもアトスの気持ちも、手加減なしで全部ぶつけてほしい。俺、受け止められるように、ちゃんと頑張るから。あの時、カミュ先輩がしてくれたみたいに」
 まっすぐな瞳が、俺の瞳をまっすぐに覗き込む。あの時も、そうだった。撮影が終わって眼帯を外すたび、明るさに目がくらんで難儀したものだった。本来、海賊の眼帯は船内の暗所でも視界を保つために着用していたものだという。明るいものを見るのには、土台向いていないのだろう。
「……俺の気持ち、か」
 目をすがめ、しかし視線はそらさずに、俺はそれだけ繰り返した。左胸に右手をあてると、それは船の上での了解を示す仕草に似ている。掌の下で、自分の血液が海のように波打っている。あの時、一十木の拳が俺の頬を掠った時のわずかな痛みと、黒崎に止められながらも泣き叫ぶ一十木の――イッキの悲鳴にも似た怒声とを思い出す。
「うん。俺と謎の騎士の心臓を一突きにできちゃうくらい、全部の気持ちがいいな」
 一十木は、物騒な台詞に似合わない笑顔を浮かべ、自らの左胸を軽く叩いてさえみせた。きっとその内は今も、二年前よりもさらに鮮やかに赤く、夜の海を裂くような熱をたたえているのだ。
 だがそれを今度は俺が、俺の内からぶつける番だというのなら。
「アイサー、キャプテン」
 心臓に触れたままのポーズでそう言うと、右隣の悪役はまるで映画の主人公のように笑った。
 稽古再開の声がスタジオに響く。俺は銃士隊の生真面目なひとりの男として、仲間とともに身を賭して悪を討つ。そして血よりも濃い赤を、夜のパリに響くほどの熱を、舞台の上に魅せてやろう。
トロワ記念プリツイは確かに世界を変えてくれた(当時の日記
このあとリコリスの森を端役として見守ったミューちゃんの気持ちよ……
2019.5.31.